自己肯定感は自己有用感で高まるのか?/日本の教育/日本人の幸福度/主体性
自己肯定感(自分には価値があるという自覚)を高めるには、他者の役に立っている自覚(自己有用感)を増やすことが唯一の方法と思われがちなのが、日本の教育なのかもしれません。しかし、本当の自己肯定感とは、人の役に立っているか否か関係なく、「自分にはそもそも価値がある」と感じていることではないでしょうか。
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人の役に立つから、自分の価値を自覚する?
人の役に立つことが自分の価値を感じる唯一の方法だとしたら、人の役に立っている自覚がない人は、自分の価値を感じられないことになります。
たとえば、「自分は体が不自由で働けないから、人の役に立っていない」と感じている人がいたとしたら、その人は自分の価値を感じられないことになります。ただ泣いて笑って24時間お世話を必要とする赤ちゃんは、自分には価値がないと思うことになります。
人の役に立つことで価値を見出す考えが招くもの
「人の役に立つことが自分の価値を高める・価値を確認する方法」という考えが、大人達の間に浸透していると、これから社会を築く若者達は以下のように思いがちです。
●人の役に立つ人が価値がある
●人の役に立てない人は価値がない
●人の役に立つことを見つけなければいけない
以前、障がい者施設へ通う何人もの障がい者を殺害した犯人は言っていました。
「人に世話をしてもらって、役に立たない障がい者は生きている価値がないから殺した」
日本人の幸福度が高くないことは、毎年国連の調査結果で露わになりますが(個人的には日本人の自己肯定感が高くないことが悪いことだとは思っていませんが)、その理由は「他者への寛容度の低さ」が大きな原因としてあると言われています。
日本の多くの大人から「人の役に立つから、人には価値がある」「人の役に立って、自分の価値を見出そう」という考えを受け継いだ若者が日本の未来を築けば、30年後の日本はまだ幸福度が低めの国かもしれません。
自分に価値がある理由を外に見出す自己有用感
自己有用感は確かに自己肯定感を高める理由を外に見出す効果的な方法ですが、「自分には価値がある理由」が自分の中からも出てくることが大切です。
つまり、人の役に立ったという実感(自己有用感)を、「だから自分には価値がある」という具合に、自分の中に落とし込み、自己肯定感という自覚をためていくことが大切です。
たとえ毎日のように、大勢の人の役に立っていても、その人の自己肯定感は必ずしも高いわけではありません。自己有用感を、自己肯定感という「自分には価値がある」という自覚に変換するステップが欠けている場合です。
自己有用感だけでは自己肯定感は高まらない
しかし、自己有用感をためるだけでは、自己肯定感は高まりません。
自己肯定感の中に「火種」がなければ、いくら自己有用感という薪をくべても、自己肯定感の炎は大きくならないからです。毎日のように大勢の人の役に立っていても、自己肯定感が低いのは、火種が小さいからでしょう。
自己存在感
火種とは「自己存在感」です。ただそこにいるだけで、価値ある自分を自覚していることです。自己肯定感の中に火種があるとは、つまり、「人の役に立っていてもいなくても、自分にはそもそも価値がある」と理解している状態のことです。
これは、人によってあまりにも反応が異なる部分で、
- 私が出会ってきた多くの外国人は、「何を今更言うの?」「当たり前過ぎる」という反応をします(失笑に近い)
- 日本人の多く(大人)は、「いやぁ、それはなかなか難しいですよね」と言います
海外の反応|人にはそもそも価値がある
世界と比較すると日本人の自己肯定感は低めですが、その日本人は「人との関わりの中で自分の価値を見出す」ことが唯一の自己肯定感を高める方法だと思っているかもしれません。
しかし、本当の自己肯定感は、自分の中に元々ある価値をしっかりと自覚することです。
たとえば、「あなたに価値はありますか?」と外国人に聞くと、このように答えてくれます。
- What? You are not? (え?何???君は価値がないってこと、あり得ますか?というニュアンスです。質問するまでもないよね、という感じです)
- Of course. Not only me, everyone is!(もちろんです!私だけじゃなく全ての人に価値があります)
更に、なぜ価値があると思うのか、理由を尋ねると、以下のような答えが返ってきます。
- There is no reason. (人に価値がある理由?そんなものない。人であるから価値がある)
- Because I’m me! You’re you!(自分だから価値がある、君も同じ)
日本の小学生は気づいている
ちなみに、日本の小学生たちに、「人には価値があるのかなぁ?」と聞くと、「あるぅー!!」と元気な答えが返ってきます。
「どうして?」と聞くと、「だってこの世にたった1つだからぁー!」と言われたことがあります。
更に、「人は誰かの役に立つから価値があるんじゃないの?」と聞くと、「そういう人も価値があるぅー!でも、引きこもりの人だって価値があるよー!」と答えてくれます。
不登校のお友達だって当然価値があるのです。
ただ自分であるだけで、人には既に価値があるのです。
若者に関わる大人自身の自己肯定感
自己有用感だけで自己肯定感を高めてきた大人達は、若者の自己肯定感を高めるために、「人の役に立とう」と促すしか方法を知らないかもしれません。
すると若者は、「人の価値は人の役に立つことで得られるもの」と思うでしょう。
若者は、
- 「あなたは、充分人の役に立っているから価値がある」と言われるのと、
- 「あなたは、いや、そもそも人は、存在している自体で価値がある」と言われるのと、
どちらの方が、自分や他者の価値に気づきやすいのでしょう。
どちらの方が、他者をありのまま受入れ認められる他者承認力を得やすいのでしょう。
ただ、正直に言えば、このような話は、自分自身の自己肯定感や経験値によって、理解しようとしても「ピンと来ない」という大人が日本には多いかもしれません。
一概には言えませんが、経験から言えば、40歳代後半を境にして、年齢が上になればなるほど頭を捻る人が増えてくるように思います。
逆に、20~30歳の若い人や、生徒・学生たちになれば、「やっぱり人には元々価値がありますよね」と、すんなり理解できる人が多いです。
結論1|自分の価値は、既に自分の中にある
結論は、「自分の価値は、既に自分の中にある」です。
そのことに気がついていることが、「自己肯定感の火種=自己存在感」です。
自己肯定感を高めるための1つの方法が、人の役に立っている自覚(自己有用感)や他者による承認という薪を集め、火種へ向けてくべることです。
薪を多く集めても、火種がなければ炎は大きくなりません。
だから、「そもそも自分には価値がある」と気づいていることが大切です。
結論2|若者自身が気づいていることが大切
そして、もうひとつ大切なのは、若者や子供自身が、自分でそのことにしっかり気づいていることです。
周りの大人達の自己肯定感によって、若者自身の自己肯定感が左右されることを、なるべく避けるためです。
方法|自分の価値を自分の中に見出す方法
自分の中に既にある価値に気づくために、自己理解と自己承認です。
自分を良く理解するStep.1、そして、知りながら認めるStep.2。
補足1|自己肯定感を操る指導はNG
若者や子供の自己肯定感が高くなると、自分に自信を持ちすぎて努力をしなくなるから、あまり高めない方が良いなどと捉えているかのうような指導を目にすることがあります。
これは、誤解しています。
自己肯定感は、「自分は既に優秀なのだ」という自覚ではありません。
自己肯定感は、「自分には価値と可能性がある」と自覚していることであり、自分の欠点含めありのまま自分を認め、大切に思うことから生まれています。
自分には多くの改善点がある、でも自分には価値があるし(自己肯定感)、やればできる(自己効力感)から、もっと成長できる、成長していこう!というように、成長意欲の下支えになるものが自己肯定感です。
優秀なリーダーは、○○が得意
優秀なリーダーは部下の良い所を瞬時に見つけ、そこを心から認め褒めることができる人です。自分の良い所を自覚している人間は、もっている力を発揮しやすいと理解しているからです。
「部下が図に乗らないように、褒めない」「悪いところを指摘して、問題意識を高めさせて成長させよう」などと、逆効果な行動を取る人が優秀なリーダーや教育者になることはありません。
ちなみに、「相手の欠点を指摘して成長へ仕向けよう」とする上司や教育者、親たちにも事情があります。彼らは、自分たちも同じように大人や先輩から指導されてきています。それが指導・育児だという常識の中で育っています。
ですから、「そのような指導は控えましょう」と言っても、「それ以外の指導を知らない」と思います。ただ、そのような人たちも大切な役目を果たしているので、当然ながら、間違っている訳ではありません。
補足2|自己肯定感が低いことは悪くはない
日本人は自己肯定感が低めだと良く言われますが、自己肯定感が低いことで得られるものは実際に沢山あるので、必ずしも悪いことではないと個人的には思います。
低い自己肯定感を何とか高めようと、日本人は努力し、実績を増やしたり、実力を身につけたり、成果を挙げてきました。そのお陰で、技術や社会、芸術などあまりにも多くのものが、大きな発展をしてきました。
自分に自信がないから、謙虚に振り返りますし、「まだ足りない」と考え高みを目指しますし、努力を平気で積み重ねます。(日本人に染みついた素晴らしさです)
自己肯定感が低いからこそ生まれるメリットは多いのではないでしょうか。
しかし、低い自己肯定感を活かし成長を続けていき、ある地点まで辿り着くと、人は自己肯定感を芯から高めなければ物事がうまく回っていかない局面に入るように思います。
その時に、今までのように努力や勢いだけではうまく持続成果が出なくなった自分に疑問を感じれば、自己肯定感などという内面に向き合うことになるかもしれません。それは、本人が必要性を感じたら向き合うものなので、流れに任せ、ありのままで良いと思います。
これは、実際にそのような局面を乗り越えた人にしか分からないことかもしれませんが、成果の安定性や持続性を求める場合は、避けては通れない経験ではないでしょうか。
この経験は、若年化していくと思います。世の中が持続可能な発展を目指し始め、発展を支える土台である人々の資質に高い関心が向けられているのが、その理由です。
謙虚で高みを目指す日本人の素晴らしさは、「ただ自分であるだけで」既に私たちには価値があるという自覚が増えることによって、更に活きると感じます。
そして、「人には最初から価値がある」ことを自らが腹落ちしている大人に囲まれて若い人が成長をしていく効果は計り知れないと感じています。
しかし、最も大切なことは、若者自身が気づいていることです。自分の自己肯定感が、周りの大人の自己肯定感に左右されるのではなく。
ちなみに、このような話をすると、若い人は急に聞き入ります。彼らは、自分の価値がどこにあるのかを、実は大人よりも自覚しているのだと感じます。
I feel they just want to recognize that they are already valuable, but people around them are trying to let them build up something new or different.
No, we are enough, what are you looking for? they say.